さてさて、随分と間が空いてしまいましたが米沢の続きです。
南陽市の上杉御殿守から、またまた米沢へ戻りました。

晴天の晴天で、とても気持ちよく謙信公へ迎えました。
やっぱり、謙信公ですね。いろんなことが起きすぎて胸につまっていた思いがいっきに湧き出てきて目頭が熱くなりました。年をとると涙もろくなるといわれますが、謙信公は見ていてくれたはずなので・・・ここへ来れたことにも深く深く感謝でいっぱいになりました。
久しぶりの謙信公のこの地は、とても懐かしく温かい。謙信公、上杉家の皆々様、有難うございます。
そして、御廟所の皆様とも震災以来の再会になりまして、いつものように「上がれ、上がれ!」と招かれました。
所長はこの日、上杉のお殿様が米沢へいらしていたので大忙しで、目がおどっていました(笑)。
「ごめんなぁ~、せっかく来てくれたのに」
いつでも気遣いを忘れない所長が元気にいてくれたのでものすごく安心しました。


誰でも解っていることですが、ここで改めて。大君と私は観光客のご家族の行動に目がいきました。

この地は上杉家のお殿様が眠る御廟所でございます。見物という観光の一環とはなっておりますが、個別に御廟が設けられています。灯篭などや石畳などもそれぞれ設けてあります。
しかし、ここをいとも簡単に横切って歩くのはいけません!言わなくても解るような話ですが残念なことに、横切って歩いていきます。若い方、年配の方も・・・。
歴史に残る殿様方の前を平気で横切るのは決していいこととは言えません。失礼にあたると思います。皆様はどう、思われますか?


大黒天早崎こと、大君はこの日を機会に生まれ変わることを決意いたしました!(笑)。
少しずつではありますが、ウジャトは前進をし、多くの皆様にいろんなお話や、多彩な大君をお届けできればと思っています。
今後とも山形県米沢市の上杉家御廟所を宜しくお願い致します!女性の方は所長の甘い口調にはお気をつけて!(笑)
とても優しい殿様なので誘惑に負けちゃいます♪
冬になれば真っ白な雪が屋根に積もり神秘的でお墓だということを忘れるほど気持ちが落ち着きます。直江さんで有名になった米沢ですが、謙信公という偉大なお殿様がいたからこそ、米沢は護られ支えられていることを忘れないで欲しいです。「上杉まつり」があるほど上杉なのですから。そして、謙信公が残していった教えをいつまでも胸に。私たちを巡り合せてくれた謙信公と上杉家のお殿様方に感謝です。
ところでお恥ずかしいご質問をさせていただきたいと思います。
謙信公は「毘」「龍」を掲げておりましたが、寅年生まれの謙信公は何故「龍」をいれたのでしようか?
「毘」は毘沙門天様ですよね。では「龍」は????
あいにく、謙信公とお話しする事ができないので知っていらっしゃいましたら是非、教えてください!宜しくお願いします!まだまだ歴史にはうといもので(笑)
では、この辺で失礼いたします♪次回は山形の旅でございます♪
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コメント
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もしや…大さんSLにいませんでした?いや、間違いかな?
以前から横切り移動は止めろと言ってたけどダメでしょうね。お墓と考えず資料館とか遺跡として見てるんじゃないかな?大さんの表情、少しずつ落ち着きを取り戻してきたように見えるよ!
まだ未だに横切る行為をされてる方が多いのですか!?よく、若い者は…と口に出される方がいらっしゃいますが、年齢関係なく、教える事もできないで大口をたたいている大人が多いですよね。日本人の意識が低下してますね。謙信公については、はっきり解りませんが水戸君の龍神信仰が強いのではないかと思います。昔は多かったですからね
お疲れ様です。龍神信仰…天を自由に飛び勝るものはない、と考えたとすれば。奥深いですね~
「毘」は毘沙門天の「毘」で、上杉本陣に普段掲げられたようです。「龍」は普段は掲げられてないようです「龍」が掲げられると全軍総攻撃の合図になりました。でも、確か、越後の虎が正しいのではないかとの話もあるようです。謙信公と龍。もしかしたら新潟の水とか龍神信仰があったのではないでしょうか?